はなの日記

道草しながら散歩するように生きよう はなのささやかな日々

切ない春

ある日の

老いた両親の会話

 

父 「明後日は俺の誕生日か」

 

母 「👂えっ?」←(聞こえない)

 

父 「明後日は俺の誕生日だよ」

 

母 「あら、そうだった?」

 

父 「お前 俺の誕生日知らないの?」

 

母 「あらぁ、そうだったかしらね」

 

父 「まったくもう、、」←(不満げ)

 

 

母 「あれ?私の誕生日はいつだった

         かしらね?」

 

父 「お前、自分の誕生日知らないの

        か??」       

 

母 「いつだったろう??」←(マジな    

         やつ )

 

父 「全くしょうがねえなぁ、

        お前の誕生日は9月だよ!

         はっはっは!!」

 

 

 

残念です 父上…

 

 

母の誕生日は8月です!!!

ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ

 

 

 

まぁ、こんなことで驚いていては

いられない

 

話しを変えよう

 

関東も桜が開花して

気持ちはすっかり春にシフトしていたところ

まさかの春分の日に大雪。。⛄️

 

びっくりしました〜

 

でも一年はあっという間

今年もこの季節がやって来た

 

うちの長男はこの春大学卒業を迎える

🎓🌸

そしてまさかの社会人になる

 

またひとつ

大人の階段を上っていく我が子

 

実は息子が大学2年で一人暮らしを始めた時

 

やはり親らしく

毎月苦しい家計の中から

自分は穴の空いた靴下を履いても

息子の生活費の足しにと

仕送りをするのが正しい母親の姿ではないだろうかと

 

…思ってはいたのだが

 

 

何せ両親の介護はあるは

出産した娘のフォローはしないといけないは…

初孫可愛さの余り

そっちに気持ちがいってしまっていた

 

おまけに旦那が定年を迎えて

給料が減っている中

息子の仕送りに回すお金を捻出するのは

しょーじきなところキツかったのだ

 

 

思えば

幼稚園の送り迎えも
PTAの役員も受験も
早朝のお弁当作りも
全部3人分

 

末っ子の息子が家を出て
正直解放されたような気持ちもあった

息子の子育てはもう終わりかけてるような気になっていたんだと思う

 

いや、正直

わたしはもう息切れしていたのだ

 

息子は総菜屋でバイトをしていたので

食べ物には困らないと聞いていたので

それをいいことにして

 

可愛い子には旅をさせろ

苦労は買ってでもしろ

 

なんていう

遠い昔のことわざを

都合よく持ち出して

 

まあ、、食べられるならいいか

うん、餓死することはないな

と、

自分を納得させていたところがあった

 

 

仕送りは

余裕ができた月に

何回か振り込んだけれど

とても十分な額ではなかったと思う

 

 

息子は親に金をせびることもせずに

ひとり黙々と勉強とバイトを両立させて

就活にも励み

何とか留年もせずに卒業できることになった

 

ところが後で聞いた話しで

お金がない時は

もやしを食べて生活をしていたとか

 

な、なんと、、、

ご、ごめんよ息子〜〜💦

 

後ろめたい気持ちを隠して

卒業と就職が決まった時

夫と3人で

ちょっと贅沢な食事をしに行った

 

大したフォローもしてないのに

「今までありがとう」と

笑顔でお礼を言う息子

 

済まない。。

 

 

息子の健気さに甘えていたのは

あたしの方だった

 

息子が立派過ぎて眩しい

 

わたしのダメ母ぶりが笑えない

 

 

人が大人になるまで

1日を何回繰り返すんだろう

 

子供たちを腕に抱いていた時間は

あの子達の一生から考えたら

ほんの一瞬のようなものだ

 

オギャアと生まれた赤ん坊が
大人になるって
嬉しいことなのに
なんでこんなに切ないんだろう

 

 

うえーーーん、えんえん、、、

、、、、、

 

大きな声で泣きたい

 

親は切ない生き物だ

 

 

今年は桜の開花が早い

のんびりしてる間に

散ってしまうだろう

 

子供も

のんびりしてる間に

 

大人になってしまう

 

そして

自分を超えていく

 

息子よ

おめでとう

母からのエールを受け取りなさい

 

ありがとう

 

これからの幸せを願っています

 

 

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寺内貫太郎一家〜昭和と家族と②

昭和という時代も

時が経てば

遠い昔となる日が来るだろうけど

 

わたしのアイデンティティ

昭和という時代背景が

大きく関わっていることは

間違いのないことで

 

 

 

わたしの年老いた両親は

まさにこの昭和の時代の夫婦で

わたし自身もまた昭和に生まれ

昭和の空気と価値観の中で育った

 

両親の夫婦関係は

実は寺内家と同じで
母は父の家来のようだったのだが
怒鳴られ威張られながらも
甲斐甲斐しく夫を世話してきた

 

子供だったわたしには

何故母親がいじめられてるのか

わからなかったが

 

娘が小さな心を痛めていたことに

親は気付いていたのかどうか

わからない

 

介護が必要になった今も

母は父を心配し気遣い

世話を焼きたがる

 

わたしなら

散々我慢したのだから絶対に

老後に仕返しをするであろうに

(笑)

 

わたしも含めて

現代の人にこんな夫婦関係は

理解できないだろうし

通用しない常識だろう

 

 

ドラマの最初に毎回こんな注意書きのようなものが出る

 

〓内容の一部に差別的な表現がありますが

 当時の世相を伝えるオリジナリティを尊重して放送します〓

 

というものだ

 

家というものが

厳格に守られ機能していた時代

家族は絶対的な意味を持っていた

 

家には女がいて

家族みんなが

ちゃぶ台を囲んでご飯を食べた

 

そして男は

命をかけて家族を養っていくという

覚悟を持っていた

 

このドラマを書いたのは

向田邦子さん

 

昭和という時代と家族が

デフォルメされて

一見コメディドラマのようだけれど

 

実は

この時代と家族の人間模様を

鋭く深く描いているのだと

大人目線であの頃のドラマを観ている

 

 

 

昨今

有名人の子供の不祥事に

親が謝罪するのはありかなしか

論議の的になることがある

 

ひと昔前の

子育てや介護は

家族の力でやるのが当然なのか

という問題と

少し似ている気がする

 

家族のことは家族が責任を負うもの

という考え方も

 

家族であっても
個人の集まりで人格は別
という考え方も

 

 

家族の捉え方が

人それぞれ違ってきている今

決めることはできない

 

時の流れが

解決していくのだろう

 

 

家族とは何か

 

ブログを書き始めた理由も

実はそこにあったわけで

 

書くことで整理され

考え、答えを見つけるという目的があったわけなのだが

 

少しずつ近づいているような、、

 

気がするけど、、、、、、

、、、、、、、、、、

 

やっぱりいつも最後は

こんな感じになるな。。。

 

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寺内貫太郎一家〜昭和と家族と①

寺内貫太郎一家

というテレビドラマを

私くらいの年代の人は

懐かしく思い出すと思う

 

放送当時私は中学1年生くらいだったと思うが

「時間ですよ」と並んで

昭和を代表するドラマとなった

 

その名作が

いまBSチャンネルで
平日夜の8時から放送している

 

それはもう〜毎回楽しみに

昔を思い出しながら観ている

 

この小林亜星演じる寺内貫太郎という

一家の主人(あるじ)は

頑固一徹な谷中の石職人なのだが

 

その頑固ぶり

ワガママぶり 亭主関白ぶりが

ハンパないんである

 

そしてすぐ暴力

 

息子も奥さんも母親も

お手伝いさんも職人も

時には他人でも

 

100キロはあるであろう巨体で

怒鳴る。殴る。吹っ飛ばす。

 

貫太郎は

不器用に家族を愛し

家族を守り

絶対的な権力を持ち

家長として家の法律となって

それに背くものには

相手が誰だろうと

暴力で分からせる

 

 

言葉も酷い

 

「おい!!」

「何やってんだ!!」

「ばか!!」

 

毎日のように

家具が倒され、障子が破け

人が中庭に放り投げられる

 

妻の里子はそんなDV夫(?)を

慕い敬い

母親のように世話を焼き

貫太郎の人間味たっぷりな優しさを

愛している

 

カミナリ親父と言われた

昔の父親を中心に

時にコミカルに時にしんみりと悲しく

家族の日常を描いている

 

東京の下町を舞台とした

人情ドラマとして

お茶の間を泣き笑いさせた

 

  

寺内家の長女静江は

幼い頃に貫太郎の不注意で仕事場で足を怪我し大人になっても片脚を引きずって歩いている

 

そんな娘に対する負い目や不憫さから

父として誰よりも幸せな結婚をさせることを願っていたのだが

 

娘が恋した男は

翳りのある子持ちのバツイチ男

 

いつか父の許しを得るため

2人は誠実に慎ましく行動し

周囲に心を砕いてきた

 

そんなある日

男の主張中に子供の面倒をみるため

アパートを訪ねていた長女はうっかり寝込んでしまい朝帰りしてしまう

 

激昂した貫太郎は

ふしだらな娘を家に上げることは

許さないと暴れ出す

 

静江は我慢の限界を感じ

彼の元へと着の身着のまま

家を出る決心をする

 

しかし出張から戻った彼もまた

家に戻るよう激しく静江を責める

 

もう行くところがない

ここにおいてくださいと

懇願する静江の姿は

何とも切なく哀しかった

 

愛されるが故に

自分の居場所を

自分の意志で決められない静江

 

思いの強さ故に

静江のひとりの人としての尊厳に

踏み込んでいってしまう男たち

 

家から家へ

男の手から男の手へと

引き渡される

娘という存在

 

家族の夢と親の願いが

その肩に乗っていた時代

 

窮屈だけど

人が助け合い寄り添って

生きていた時代

 

それが昭和という時代だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代の人に
この人情や夫婦愛は
理解できないかもしれない

 

 

 

 

 

気付いた時には

うっかりしてた

 

はなはアラフィフの使用期限を

超えていました

 

笑い

 

これもサバ読みというのでしょうか

年齢詐称になるのか?

 

 

やれやれ

もう

アラフィフも卒業か。。

 

しかし

"アラ○○"

って言い方も

もう古いか、、、

 

なんだろね

何でもかんでも

出ては消えて

使用期限のみぢかいこと!

 

流行りの店なんかもそうだ

このスィーツが大ブレーク♪

なんていうと

猫も杓子も群がってたのに

ブームが過ぎれば看板商品も

屋号も変わる

 

いろんなものが食べられるのも楽しい

流行を追いかけるのも確かに楽しい

 

老舗は老舗の

そっちはそっちの

どっちも違う存在意義があるのかもしれないね

 

だけどさ…

 

はやくない?

 

服も食べ物もタレントも芸人も

音楽も役者も何でも

サイクル早すぎ

 

いい人も才能持った人も

沢山いるんだから

そういうの財産にしていって欲しいなぁ

もったいないなぁって、

思うんだなぁ、、

 

お店すぐなくなると

働いてた人もきっと困るよね

 

個人商店て

個人的に好きなんですよねー

 

個性的で融通きくし

会話がマニュアル的でなくて

ほっとするんだなあ

 

昔は何でも個人だった

私の生まれたところは

商店街の中で

 

洋品店、米屋にお菓子屋

文房具屋、畳屋なんてのもあったな

 

どこものんびりしてて

おばちゃんやおじちゃんが

優しく話しかけてくれた

 

そうやって自然と

家族以外の世間の人と

子供は関わっていったんだな

 

子供たちは空き地でテキトーに遊び

オートロックなんかないし

よその家にズカズカ入ったりしてた

 

なんて、

ノスタルジーに浸ってても

しょうがないけど

 

言えることは

今よりもはるかにストレスの少ない世の中だったように思う

 

あの頃子供で幸せだった

 

いつの時代も

進化の代償はあるものだ

 

時代に適応して生きていくしかない

 

しかないけど

 

適応できない時

人はしんどくなる

 

人が適応できないほど

科学や文明が進化してしまった時

どうするんだろ

 

疲れた人の心や身体をを癒すのが

将来人工知能やロボットだったりするのかもしれないけど

 

それでも

人の悩み苦しみは消えることはないだろうな

 

新しいものを生み出すこと

進化することは素晴らしいこと

 

だからどんな変化に対しても

人間にはいつも知恵が必要で

 

その知恵は

何気ない子供時代の経験や

自然と触れ合った経験から

生まれるのかもしれない

 

そんな風に

楽観的に育った故に

 

未来は明るく希望があると

楽観的に考えるわたしとして

 

未来ある子供や若い人たち

小さな世界で絶望したり

悲しんだり

しないで欲しい

 

 

アラフィフ期限切れから

何でこんな話しになったのか

???

 

まあいいや

楽しくて平和だった

子供の頃を思い出して

楽しかったから

 

 

そう、そう

後で

「アラフィフはな」を

改めなくては、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夫について⑤

 

そそっかしさ

 

思い込みの強さ

 

雑な記憶

 

この3つが出合ったとき

 

ミラクルは起きる。。

 

 

 

年忘れ企画

夫のうっかり発言一覧をどうぞ

 

①子安ジャンクション ◯

                ↓

    こやさジャンクソン ×

 

チネチッタ(映画街の名前)◯

                ↓

          シネチック ×

 

 

③スキカル ◯

           ↓

  スキルカット ×

 

 

④QBBチーズ ◯

            ↓

   ベルギーチーズ ×



月曜から夜ふかし

            ↓

     月曜から火曜日 ×

 

 

 ⑥コロロ(グミの名前)◯

             ↓

          ココロ ×

 

他に

 

今日の新聞みる?

   と言って手渡したのは
    昨日の新聞だったり

 

アイスを買いに行き

ガリガリ君を手に持って

じゃがりこにする?」と聞いたり

 

切り干し大根のことをひじきと言ったり

 

と、まあ

今年も勢いが衰えることはなかった

 

 

指摘したところで

笑い飛ばされるだけなので

ただの夫婦の余興みたいになっている

 

とにかく

あっぱれな楽天家であるがゆえに

こういうミラクルはいくらでも起こる

 

わたしは
あんな風になるつもりはないが


あの気楽さはちょっとだけ見習ってもいいかなと思うことがある

 

気楽で楽しそうだから

羨ましい

 

 

しかし

つい先日ネットで誰かが

こんなことをいっているのをみつけた

 

 

『 反省と分析のないポジティブ思考はただの能天気である 』

 

 

こ!これは!!!

 

まさに私の言いたいことを

見事に代弁してくれている!

 

わかる人にはわかるのだ

 

ずっとモヤモヤしていた理由

 

わたしが言いたかったのは

これだったんだ!!

 

スッキリしたので

 

やはりわたしは

今のままでいい

 

そう思うのでありました

 

今年もあとちょっと、、

 

来年はどんな年になるのだろう

 

良い一年でありますよう

 

願ってやみません

 

わたしのブログを読んでくださっている皆さま

どうぞ良いお年をお迎えください 

 

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人の毒

わたしは最近55歳の誕生日を迎えた🎉

 

いよいよ

還暦へのカウントダウン!

 

歳を重ねるのは

嬉しくもないし

悲しくもないし

 

無の感情というのだろうか

 

おまけに

若さに対しても特に執着がないので

 

崩れたとか

たるんだとか

しおれたとか

 

あまり気にならない

(いいのか…)

 

まぁこんなもんかなと思っている

 

数年前には更年期とやらがやってきたこともあった

 

心身共にバランスを崩し

何もできない日々が続いた

 

次から次へと不調が起きて

気分も沈みがちだった

  

更年期というのは

気が付かないうちに訪れて

気が付かないうちに過ぎ去っている

 

真っ只中にいる時は

どうにもならない

 

自分の意思や感情すらも

コントロールできないのだから

 

無抵抗で受け入れるしかないのだが

我が身に何が起きているのかさえ

わからない

 

考えてみると恐ろしい

 

そして

止まらないネガティブ思考により

長年積み重なった恨み辛みの猛毒を

延々と吐きまくることになる

 

夫に(笑)

 

 

当時は恐らく

顔つきや目つきまで

違っていたんだと思う

 

まっ暗闇を歩いているような

不安の毎日が続いた

 

最近そんな時期を
ようやく脱出できたような感じがしている

 

更年期という

長いトンネルをくぐり抜け

 

これでわたしも

立派なオバチャンだ!!

 

٩(^‿^)۶ イェーイ♪(?)

 

とまあ、、

50年以上生きていると

まあまあいろんな経験をする

 

人の嫌なところもたくさん見たりする

 

若い時は知らないで済んできたが

人間ていろんな面を持っているものだと

思い知るようなこともある

 

しかし

人はそもそもそういうもので

毒とでもいうか

そんなものをどこかに隠しながら

生きているのだろう

 

人はいつから

妬んだり恨んだり憎んだりといった

負の感情を身に付けるんだろう

 

子供は皆んな純粋で

汚れを知らない天使だ

 

しかし

気に入らない事があればところ構わず

ひっくり返って泣くわ

おもちゃを取った取られたといっちゃ

喧嘩するわ

 

本能まる出しの悪魔でもある👿♡

 

これは

あくまでわたしの個人的な考えなのだが

 

母のお腹の中に命が宿った時から

子供は人間の毒の部分をちゃんと備えているのではないだろうか

 

そして生まれてから

泣き、叫び、悪事を繰り返し

その毒を吐きまくる笑

 

その生まれたままの純粋な本能を

親が全部受け止めることで

子供は満足する

 

新生児が毎晩泣き続けて

親を悩ませるのは

何かあるのではないだろうかと

思ったことがある

 

世界で一番可愛いはずの

我が子が

こんなに疲労困ぱいしているわたしを

なぜこんなに悩ませるのか

 

まるで親の愛を確かめてるかのようだ

「わたしの全部を受け止められるの?」

そう聞かれているようだった

 

赤ん坊の泣きのパワーは

それくらいすごいのだ

生きようとするエネルギーに

圧倒されるのだ

 

 

人は本能をどこかで満たしたいものだ

押さえつけられれば

ストレスと欲求不満で

どこかに歪みが出る

 

この世に生まれてすぐに

親が無条件に

ありのままの自分を受け止めてくれる

 

それはどれだけ子供に安心と自信を与えることだろう

 

子供の本能という名の毒を

親の愛情が包み込み消してゆく

 

そこに安定した子供の情緒が作られていくのではないだろうか

 

 

あくまで個人的考えなのですがね

 

振り返って

自分が我が子に対して

十分にそうやってこれたかというと

全く自信がない

 

泣き止まないことに腹を立てたり

憎らしさを感じことだってある

 

あの時

もっと気持ちに余裕があったらなあ…

と、後悔ばかりである

 

人間誰もが心に毒を持つ

 

50年も60年も生きていれば

綺麗なままじゃあ

いられない

 

しかし

それを受け止めてくれるお皿があれば

 

薄めながら

毒と付き合い

生きていける

 

 

 

50も半ばとなり

ふと自分の中にあるものを

恐る恐るのぞいてみる

 

今わたしの中にある毒は?…

 

 

 

なんてことを考えてみる秋の日だ

 

 

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1周年

ブログを始めて1年が経つ

 

身近な家族の話しや

わたくし的な想いなど

気ままに書いてきた

 

文章を書くのが

得意なわけではないけど

 

何となく過ぎて行く日々を

何となくスルーして忘れてしまうより

 

ちょっと書き留めておくのも

いいものかな

 

くらいな気持ちで

気楽に書いてきた

 

そんな感じだ

 

頻繁に更新もしないし

お役立ち情報もないし

 

こんなわたしのブログでも

読んで頂ける人がいるので

 

嬉しいような

恥ずかしいような

申し訳ないような

そんな気持ちだ

 

 

 

ブログは何のために書くのか?

 

日々の記録なら

自分が生きた証なら

個人で日記を書けばいいこと

 

私が死んだあと

家族がその日記を見つけて

 

こんなことを思いながら

毎日を送っていたのかー

なんて笑いながら

私を思い出してくれればいいこと

 

同じ出来事を共有している身内だから

分かり合えることだ

 

姿の見えない人と
身に起きた出来事を共有するってことは

どういうことなんだろうって

 

まだブログを始める気にならなかった時

考えた

 

そこで人のブログを読んでみて

 

これは小説を読むようなもので

自分が経験しないことを

想像力で疑似体験することができる

もの

 

そんな感想を持った

 

 

 

どんなに歳を重ねて

人生経験を積んだとしても

その範囲は高が知れていて

一生のうちに出逢える人は

限られている

所詮小さな世界の中で起きることだ

 

縁もゆかりもない他人の人生は

未知の世界であって

自分の価値観とは違うものだったり

とんでもなくかけ離れているものだったりする

 


ブログは

ノンフィクションの

他人の生の生活を

承諾を得て覗き見するようなものだ

 

自分では当たり前で

ただの日常であっても

他人にとっては見たことのない面白い世界だったりする

 

そんな他人の世界が

一生かかっても読みきれないくらい

ブログの世界には詰め込まれている

 

 

わたしのこんなちっちゃな世界も

その一つになれる

 

そう思ったら

やってみてもいいかなって思えた

 

小説家デビューするのは大変なことだけど
ブログは誰でも自由に参加できる

 

何をやっても続かないわたしが

(「趣味」参照 )

 

気の向くままに

スマホひとつあればできること

 

 

 

時には苦痛だったりする日々の出来事も

ちょっと外から自分を眺めてみれば

なんだか滑稽で

大したことじゃないようなものに見えてきたりする

 

わたしにとってのブログは

そんな役割も果たしている

 

老いた親や天然ボケの夫の観察日記も

笑い話にしてしまえる

 

 

 

こんな毎日を送っている人が

いるんだなって

 

会ったこともない人が
わたしの日常を覗いてくれる

 

考えてみれば

家族だって

 

日々わたしが何を考え

何を感じているのかなんて

いつもわかっているわけじゃない

 

敢えて言わない時もある

わかってくれない時もある

 

そんな小さな孤独を

ブログの中にチョロチョロと

小出しにして流しているのかもしれない

 

 

こんなことを思いながら

 

これからも

こんな感じでやっていこっかなー

 

と思っている

 

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