はなの日記

道草しながら散歩するように生きよう アラフィフはなのささやかな日々

夫について②

わたしの夫が本当に不思議な天然ボケの持ち主であることは前回書いたが

 

その実力はあんなもんではない

 

最近あったことだけでもざっと書いてみると

 

「物が錯乱してるよ  」    ×

            ↓

「物が散乱してるよ  」   ◯

 

 

「帰れトロントへ」   ×

            ↓

帰れソレントへ」  ◯

 

 

          コメリ               ×

             ↓

コメダ(喫茶店)     ◯

 

 

          ダイソン           ×

              ↓

           ダイソー         ◯

 

 

           アイソン       

              ↓

   アイフォンとパソコンが頭の中で

   一緒になったらしい

 

 

更には…

「えのき買ってきたよ」

              ↓

    手にはまいたけ

 

 

これは一部であり

これからもネタは尽きないであろう

 

喋り始めた小さな子供が

思わずクスッと笑ってしまうような

おかしな事を言って

周りを和ませることがよくある

 

親はこの面白さ、可愛らしさを

書き留めて忘れないようにしたりする

 

「お前はこんなことを言ってみんなを楽しませていたんだよ」

大人になった子に聞かせ成長を喜ぶ姿は微笑ましい

 

 

しかし60のオッサンの不思議発言を書き留めている自分は微妙だ

これは天然であり

意図したものではないからである

 

しっかりしていた父がボケた時

何か変だぞという気づきがあったが

 

こういう人が歳をとったとき

どこからがボケたことになるのだろうか

ボケを見逃す恐れがあるんではないだろうか

 

 

こんな心配をしているわたしだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個性

わたしのような50歳前後の人のことを

『アラフィフ』

  だとか

 

還暦を迎える60歳前後の人のことを

『アラ還』

などという昨今

 

88を迎えた人は米寿であるので

87の父と88の母は、、

 

『アラ米』(あらべい)…?

(少し語呂が悪い…)

 

まぁ、

そう呼ぶかどうかは知らないとして

 

そんなアラベイコンビの日常は

不思議に満ちている

 

二人は加齢によって
いろいろな衰えがみられるのだが

 

二人とも基本的にズレているという
もともとの特性があるので


この「老い」と「天性」の
両方が重なり合うことで
へんてこりんな現象が起きる



母はテレビの下に現れるテロップの文字が見えないらしく

「私 あの文字見えないのよね」

父に言うと

「ヘェ〜見えないの?
俺は見えるよ」



父は

自分が母よりもできることがあると
不意に輝き出す


案の定、自慢げに


「じゃ読んでやるよ」

 


えーと

「××××××××××××...」    「××××××××××××...」 「××××××××××××...」
「××××××××××××...」

 

 

延々、、、、、、、( ゚д゚)

 


しかし母はというと…
      ↓
新聞を読んでいる。

 


まあ  こんな具合だ

 

 

歳を取ると子供に返るというが

まったくそう思う

自分本位で無邪気である

 

 

身体はおとな心はこども

(聞いたことがあるようなアニメのセリフ…)

 

 

『子供の世界』とはよく言われる

 

キラキラと輝きに満ちた

未来の可能性を秘めた子供たちの世界

 

『老人の世界』…

とは言わない

そこには色味や賑やかな音のない世界を

連想させる

 

でも

本当にそうなんだろうか 

 

 

人生に積み上げた沢山の経験と

知識と記憶

そこから創り出される

限りない色の世界に包まれた

万華鏡のような景色が広がっているかもしれない

 

 子供の個性を大切に育てましょう

そんな風に世間は言うけれど

 

いくつになっても

命には個性があるのだと思う

 

それはそれぞれ固有のもので

顔のようにみな違っている

 

どんな状況に置かれたとしても

その個性を失うことはない

 

 

「歳をとってみなきゃわからないんだよ」と

母によく言われる

 

老齢になった自分を想像するのは

難しいけれど

 

どんなに身体は衰えても

人はずっと個性のままに生きる

 

ならばその命のままに

華を咲かせるように

生きて行こうではないか

 

そしてその命が燃え尽きる時には!

夏空に上がる花火のように!

華やかにフィナーレを迎えたい!

 

………………、、、、、、、、

 

 

喪中ハガキが届き始めたこの頃

 

母「あら、◯◯さんのご主人亡くなったんだって。」

 

父「………」

 

10分後

父「◯◯さん亡くなったのか」

 

母「だからさっき言ったでしょ

      マンションで一緒だった人よ!」

 

 

 ……《◯◯さんは今同じマンションに 元気で暮らしている》

 

 

二人の個性が

あまりにも強烈であるが故に

 

こんなことを思うようになったわたしだ

 

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子育てと介護

『子育てと介護』

 

公演名みたいなタイトルですが

わたしの書くことですから

やわっとしたもんなんですが(^^)

 

子育て

そして 介護

 

その両方を経験することになったわたしですが…

今や社会問題となっていますよね?!

 

ひと昔前なら

普通に家庭の中で行われている

普通の家族の営みでありました

 

けれどこれは

人間が生まれる、老いるという

とても基本な重いテーマを含んでいることだったんですね〜

 

それは後に

「家族って…」

 

という深く考えもしなかった問題に

触れていくことにもなるのでしたが・・

 

思い起こせば四半世紀も前のはなし、、

 

私が子供を身ごもったとわかった時は

既につわりが始まっていて

ゲーゲーな日々でありました

 

そのゲーゲーは猛烈で

妊娠悪阻という名前まで付けられて

入院して点滴を打つまでになりました

 

そんな思いをしても

小さくて愛おしかった命

 

その命を守る親という立場

それは

何の取り柄もなかった自分に

責任と使命のようなものを与えてくれたような気がします

 

子供を成人させる

社会人として世に出す

これを子育ての目標として

毎日、毎日子供と向き合う日々

 

それは遠〜い彼方にある地点を目指して

一歩一歩 歩き続けるような

そんなイメージでした

 

そしていよいよ子供が全員成人して

とりあえずのゴール地点にたどり着いた

時、今度は自分の為、夫婦の為にその時間を使い

人生にまた新たな希望や生きがいを見つけ出す

それが私の描いた人生の筋書きでありました

 

そこに不意打ちのように

突然やってきた

介護というもの。。

 

それは子育てのように

自分の希望や意思で始まるものではない

と、、

そこに気付くことから始まりました

 

「あれっ、

 

介護生活が始まったのかなこれは?!…

 

もしかして?…」

 

 

こーんな感じでした( ´ ▽ ` )

 

 

あらかじめ準備計画してないことであるが故に慌ててしまうのがこの介護というもの

心の準備も経済の準備もない

子育てと介護の時期が重なってしまう

"ダブルケア"なんて人もいますね

 

でも自分がその立場にならないと

やはりどこか…

 

人ごとなんですね

私がそうでした

 

「うちは両親とも元気だからいいけど

介護で苦労している人は大変だなぁ…」

なんてね。。

 

そしてまた微妙なのが

家族が介護をしなければならないという法律もないし

やらないからといって

罰せられることもないということ

 

つまり介護は家族がやるもの

それが人としての道義であるという

社会的な空気感や個人の良心に委ねられているということ

 

ここが家族内でのごたごたの原因になってしまったりするのですね

決まりがないから家族それぞれに考え方も違う

 

なのでわたしは

親が元気なうちに

家族で介護のことについてきちんとした取り決めをしておくことをアドバイスしたいです

 

 

介護をめぐる家族間トラブルは

意外〜と多いのですから

兄弟間で相続を巡って裁判で争うことになったとか

ドラマのような別世界の話しではないみたいですよ

 

とにかくそんなことで始まったわたしの介護生活。。

まぁ、いろんなことが今もありながら

今日に至っております

 

命の始まりをサポートする子育て

その終焉をサポートする介護

 

家族のかたちも家族の思いも

またそれぞれという中で

 

サポートする家族にもまた

サポートは必要なはず

 

考えてもすぐには変わらないし

考えても考えなくても朝は来る!

 

今日も誰かが

誰かの生きるをサポートしている

 

「よっこいしょ」

 

「家族って…」

 

わたしの中で子育てや介護から生まれた

このテーマ

 

 

 

まだまだ模索中。。((((( ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食欲の秋

ああ

食欲が止まらない、、

 

涼しくなってくると

身体が冬の寒さに備えて

何かを蓄えようとするのでしょうか

 

食べても

動かなくても 

 

とにかく無条件に

 

何かを食べたい!!

 

そして

甘いものって秋になるとなんでこんなに美味しいんでしょうか!!

 

食事の後に

三時のおやつに

疲れた時に

夜のテレビのお供に

甘いものは心とカラダを癒してくれる

永遠のおともだち。。。

 

だからだから

街を歩けば新作コンビニスィーツ、

デパートに行けば憧れの高級スィーツ、

スーパーに行けば食後にちょっとちょうどいい的スィーツ、

ファミレスに行けば今だけ!季節限定スィーツ、

 百花繚乱ですわ。。 

 

これは世の中の人々が甘いものを求めているからこその現象

人は甘いものとの関係を切ることはできないのです

 

この愛するスイーツが

 

『太る』

 

という恐怖と裏腹であるということ

ここに人生の不条理を感じるのです

 

 

もう生きている限り

このスィーツ誘惑地獄からは抜けられないのか!

 

 

この世からお菓子が無くなってくれれば
こんな悩みはなくなるのに

 

この世からお菓子が無くなったら?

.......

 

おお、

考えただけでも殺風景な世界だ

 

では代わりに

世の中から体重計を無くしてしまえばいいのではないだろうか!

 

しかし

それは健康管理の面で良くない

 

じゃあどうすれば

 

自動的に食欲が湧くのに

それを強制的に抑えることは

いいことなのか

自然の摂理に反することなのか

 

生き延びるために人間が身につけてきた自然な現象ならば

やはり逆らわない方がいいのでは、、

 

でも太ることは健康に良くないのでは、、

 

あー!もう!!

 

 

 

…落ち着いて考えてみよう、、

 

太古の昔はこんなに多くの

しかも高カロリーな食べ物はなかったはずだ

魚とか木の実とか

そんなものを食べていたから

たくさん食べて

からだに脂肪をつける必要があったんだ

 

てことは

今は普通に食べてるだけでも

脂肪がつくし

文明の発達により

動かなくなったわけだから

食べ溜めの必要はないわけだ

 

だから

やっぱり食べちゃダメなんだけど

身体にだけは太古の昔から続く現象がのこっている

 

てことは

やっぱり我慢するしかないのだ

 

でも我慢ができるのかというと

それはムリ。

 

てことは

 

太るしかないってこと。

 

なんだ

しょうがないことだったんだ

 

あははは

 

 

ちがうっっっっ!!!!

( ;∀;)

 

しょうがないじゃダメだ

じゃどうする?

どうするよーーーーーーーー

 

ダイエット食品→金がかかる

 

ならば

     水!

水飲んでごまかそうか

いや、絶対に反動が起きる

 

甘いものを我慢するには、、

うーーーーーーん、、、、、、、、

うーーーーーーん、、、、

 

長くなりそうだから

 

なんか食べるか、、、

 

 

違うっっっっ!!!!!!!

てばもうっっっ!!!!!!

 

誰か

 

助けて。。。、

( ;∀;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子

秋です。

空が青いです。

 

学園祭の季節ですね

 

先日息子の大学の学園祭に

行って参りました

 

大学の近くで

一人暮らしをしている息子は

音楽サークルに入り

バンドを組んでドラムを担当している

 

3年生ということで

ステージに立つのは今年で最後らしい

 

一度くらい青春輝く息子の晴れ姿を

見に行ってやろか、、

そんな想いで

夫と二人、息子の大学へ向かう中

わたしはあの過酷な

大学受験の日々を

思い出していた

 

あの張り詰めた雰囲気

たくさん出ていくお金。。

 

息子は特別優秀でもなく

夫もわたしも

教育熱心ではなかったこともあり

正直、受験の準備は遅かったと思う

 

こんなに苦労するなら

早くけしかけてやればよかったと

後で後悔した   

 

そんな中でも

コツコツ地道に頑張っていた息子

 

時に思うようにいかず

イライラをぶつけるために

机を叩く、床を蹴る、声をあげる

(笑)

 

家の中には重たい空気が漂っていた

「ねーねー、今日さ〜ぁ、、」

と話し掛けたい気持ちをこらえて

お口にチャックするわたし

受験に家族の協力は絶対だ

 

模擬テスト、センター試験

お金が必要になるたびに

申し訳なさそうにしていた息子の顔が思い出される

いつの間にこんな親に気を使うような大人になったのだろう

 

自分の将来を決めてしまうかもしれないことへの不安

親に経済的な負担をかけてしまうことへの罪悪感

受験生はその年齢には不相応に

重たいものを背負っている

 

そんな息子を不憫に思いながらも

現実と戦う息子を陰で応援していた

 

第一希望の大学に落ちた時

打ちのめされたように

がっくりと肩を落としていた息子

 

 

そんな想いの末につかんだ

合格   ‼︎‼︎

 

そして今

目の前で仲間と楽しそうに

ドラムを叩く息子

 

感慨深し。。。

 

合格が決まってやれやれと

ある日洗濯をしようとした時だった

 

ん⁈

息子のパンツが、、、⁈

 

うしろ中心の縫い目から左右に

布が裂けて大きな穴が開いている

もう一枚も同様に、、(・・;)

 

「これって…」

息子はもともと倹約家で

体裁を気にしないタイプだ

 

だけど

これがパンツ代を節約するためのものではないことは理解できた

 

こんなにパンツが擦り切れるまで

椅子に座ってたのか…

アイツは…

 

その時初めて息子を

一人の男の子として

客観的に見た気がした

 

2年になって

一人暮らしをすると言いだして

部屋から出ていった後

勉強机にみすぼらしく

白い紙が貼ってあるのを見つけた

 

 

なんじゃこれは?

 

はがしてみるとそこには…

 

 

やっぱり穴ーーーーーーー!!

 

こぶし大の穴ーーーーーー!!

 

は、激しい!( ̄▽ ̄;)

 

受験とは…

厳しき

若者の人生を賭けた戦いなり。。。

 

 

しかしよかったな息子よ

穴の開いたパンツで

机にかじりついていたのに

 

今では可愛い彼女もできて

学生生活を満喫中

ちっとも家に帰って来ない

 

それでよい

この世の春を楽しむがよい

息子よ

 

気付かないうちに大人になって

少しずつ離れていく子供

 

ここは

あの子が自分の力で手に入れた

自分の場所

金の思い出を作る場所

 

 

夕陽が沈む前に

わたしたちはキャンパスを後にした

 

あのパンツは

今でも箱に入れてとってある(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの知らない町会の世界

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これは

町会の運動会でゲットした景品の数々。。(笑)

 

この他にくじ引きがあって

それに当たると

米5キロとか油とか何だとか

いろいろもらえるのです

わたしは参加くじを忘れて

何ももらえなかったのですが、、

 

秋の休日

日頃のなまった身体を動かす機会を与えて頂いたうえに

お昼にはお弁当に

お茶にジュースも、、

 

おまけにこんなにたくさん

おみやげがもらえる

 

そんないち日を

一銭もお金を使わずに過ごせるのです!

 

スロットに行くより

ずっと健康的で経済的!(笑)

 

 

う〜ん

ビバ!町会!!

 

皆さま

町会費を払っていますか?

もし払っているのだとしたら

町会主催のイベントには参加しないと損です

 

町会によって様々だとは思いますが

うちは町会主催のバス旅行とか

かなりお得な金額で

はとバスツアー並みの日帰り旅行を満喫できるらしいです

 

しかも集合場所は町会内なので

徒歩5分程度の場所らしい

楽ち〜んじゃないですか ♪

早起きして新宿まで行かなくて

いいんです!

(*⁰▿⁰*)わお…

 

 

若い時は

町会なんてめんどくさくてやだ

ダサい、地味、年配の人ばっかり

なんて思ってました

(ごめんなさい。)?‍♀️

 

なぜ気持ちが変わったかというと

 

ウチのお隣さんの奥さんが

町会大好きな方で

よく誘われていたのです

 

ずいぶん断っていたのですが

たまたま予定がなく

暇つぶしで参加させてもらったことがありました

 

帰りはバッグに入らないほどの

おみやげの山なったことに驚き。。

 

いつも払っている町会費って

こんな風に会員の為に使われていたんだな

、、と軽く感動したのでした

 

 

当時パートで仕事をしていたわたしは

家事に子育てに

目の回るような毎日を送っていたので

 

町会=近所付き合い

 

のイメージから

避けて通るものだと思っていたのです

 

でも役員さんは役員さんで

町会の皆さんのためにとても頑張っていたんだなぁと

思えたのです

 

近所の人と知り合いになって

利害関係のない間柄で

リラックスして

喋ったり、笑ったり、、

 

道でばったり会って

挨拶を交わしたり

そこから付き合いが広がったり

 

こんなゆるっとした繋がりは

忙しくストレスいっぱいの

現代人にとって

必要なんじゃないかなって思います

 

インターネットで

顔を見なくても

遠くにいる人でも

繋がれることの良さもある

 

それと同時に

顔を合わせるという

地域や近所から得られるものの良さも

あっていいのではないでしょうか

 

そんなバランスを保つために

いろんな機能を持った場所を

利用していくのは

いいことかもしれないですね

 

ただあまりに皆勤賞だと

時期町会役員候補に推薦されてしまうかもしれません。(笑)

 

現役世代の人は

難しいかもしれないですが

 

地域、家族、社会は

時代によって変わっていくもの

 

町会というものが

これからどうなっていくのかは

わからないですが

 

ワークライフバランスの重要性が叫ばれる昨今
そんな関わり方も
また良いのではないでしょうかね

 

 

なんて、

明日の筋肉痛を心配しながら

景品でもらった駄菓子をアテに

 

ソファで

缶ビールを飲んでいるわたしでした

???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お付き合い

今年米寿を迎えた母は

とても耳が遠い

日常会話の音量で話しかけても

一度で聞こえてくれることは

ほとんどない

 

?「…えっ?」

 

と必ず聞き返されるので

2回言うことを前提にして

話しかけることになる

 

一方の父は

通常の音量で話しかけても

何の問題もなく会話はできるのだが

なぜかテレビの音だけが聞こえないらしく

大音量にして観ている

 

父は

朝目覚めてから夜布団に入るまで

一日中テレビを観ている

まるで置きもののように動かない

 

動く時は

トイレに行く時と

新聞を取りにポストに行く時と

たまーに庭を眺めに立つ時

 

なのでリビングには

常に大きくテレビの音が鳴り響いている

 

母はまた不思議なことに

そのテレビの音がうるさいと感じられるらしく

あんなにわたしの声が聞こえないのに

イラッとした口調で

父に

「もう少し低くしてよ!」と

まるでよく聞こえる人みたいに言うのでおかしい

 

そしてその大音量の中で

ふたりは普通に会話しようとするので

当然母は聞こえなくて

「…えっ?」と

何度も聞き返すことになる

そしてそれに父がイラつく

 

何をやってるんだか、、、

 

いつもこのことをめぐって

二人の間の空気が悪くなる

 

こちらにしてみれば

二人の耳は一体

どんなメカニズムになっているんだと

思うばかりなのだが、、

 

高齢になれば

誰でも身体の機能が衰えるものだ

自分にもいつかは訪れることだ

と、

頭ではわかっている

 

でも

でもでも

 

それにお付き合いするのは

なかなか忍耐のいること。。

 

なので

ストレスを少しでも軽減するために

工夫しなければならない

お世話をする人の心身の健康は

とても大切な事だ

 

耳栓をするとか

音量の数字を書いて

見えるところに置くとか

いろいろ考えて

ある日思いついたのが、、

 

第二のリモコン

 

汎用リモコンを使って

背後からこっそり操作してしまうのだ

(笑)

 

父がほんの少しテレビの画面から目を離す瞬間を見計らって

少しボリュームを下げてしまう

 

◁▫️▫️▫️▫️

 

おもしろいことに

気付かれないんですなこれが

( ´▽`)

 

軽く快感。。。

 

荒野のガンマンみたいに(古い)

リモコンの先に

ふっと息を吹きかけるような気分で

 

どうだ、、

してやったり、、ふふ

 

てなもんです

なぜもっと早く思いつかなかったのか

 。。

 

ていうか

 

それで聞こえるんだったら

最初からそのボリュームで聞いてはくれまいか!…(^^;;

 

母の耳もリモコン操作のように

ボタンひとつで

聞こえるようになるといいのにね

 

なんて、、

 

 ▫️▫️▫️▫️▫️▫️▫️▫️▫️▫️▫️▷

 

 

以前母のために

10万円以上もする某有名メーカーの補聴器を購入したのだが

雑音が気になるとか言って

全く使ってくれない

 

あの補聴器はどこにいったの?

と聞いたら

既に買ったことも忘れていた

 

そんな母に話しかけるたびに

「…えっ?」と聞き返される

ちょっと余裕がないときは

こっちもイラつきを隠せない時がある

 

 すると

「聞こえないんだから

しょうがないでしょう」と

軽くキレ気味に言ってくる

 

まったく。。

 

聞こえた振りして

適当に生返事すればいいのに

 

相手の返事が聞こえないんだから

むやみに話しかけなければいいのに

 

なんて思ってしまうわたし

 

しかしそうはいかないのだ

 

相手が何を言ってるのか

ちゃんと聞いて

ちゃんと返事をするために

 

嫌がられてもイラつかれても

何度でも

「…えっ?」と

聞き返す

それは母にとっての当たり前

 

 

頑固で真面目でワガママで

融通がきかない

 

そんなふたりの老いに

お付き合いをする

 

 

何の邪気もなく

衰えた耳や目で

静かに自分の老いと向き合いながら

日々を生きているふたり

 

そこには

違う時間が流れているような感じがする

 

高齢者のお世話をすることは

大変なことだ

 

でも

 

こんなふたりを見ていて


ある日ちょっとだけ
優しい気持ちになれる時がある

 

面白いなって

くすっと笑える時がある

 

 

 

 

 

まあ、

気持ちに余裕がある時に限るが、、

 

 

あとはたいてい、、、

 

 

 

イライラしている     (^ ^)