はなの日記

道草しながら散歩するように生きよう アラフィフはなのささやかな日々

個性

わたしのような50歳前後の人のことを

『アラフィフ』

  だとか

 

還暦を迎える60歳前後の人のことを

『アラ還』

などという昨今

 

88を迎えた人は米寿であるので

87の父と88の母は、、

 

『アラ米』(あらべい)…?

(少し語呂が悪い…)

 

まぁ、

そう呼ぶかどうかは知らないとして

 

そんなアラベイコンビの日常は

不思議に満ちている

 

二人は加齢によって
いろいろな衰えがみられるのだが

 

二人とも基本的にズレているという
もともとの特性があるので


この「老い」と「天性」の
両方が重なり合うことで
へんてこりんな現象が起きる



母はテレビの下に現れるテロップの文字が見えないらしく

「私 あの文字見えないのよね」

父に言うと

「ヘェ〜見えないの?
俺は見えるよ」



父は

自分が母よりもできることがあると
不意に輝き出す


案の定、自慢げに


「じゃ読んでやるよ」

 


えーと

「××××××××××××...」    「××××××××××××...」 「××××××××××××...」
「××××××××××××...」

 

 

延々、、、、、、、( ゚д゚)

 


しかし母はというと…
      ↓
新聞を読んでいる。

 


まあ  こんな具合だ

 

 

歳を取ると子供に返るというが

まったくそう思う

自分本位で無邪気である

 

 

身体はおとな心はこども

(聞いたことがあるようなアニメのセリフ…)

 

 

『子供の世界』とはよく言われる

 

キラキラと輝きに満ちた

未来の可能性を秘めた子供たちの世界

 

『老人の世界』…

とは言わない

そこには色味や賑やかな音のない世界を

連想させる

 

でも

本当にそうなんだろうか 

 

 

人生に積み上げた沢山の経験と

知識と記憶

そこから創り出される

限りない色の世界に包まれた

万華鏡のような景色が広がっているかもしれない

 

 子供の個性を大切に育てましょう

そんな風に世間は言うけれど

 

いくつになっても

命には個性があるのだと思う

 

それはそれぞれ固有のもので

顔のようにみな違っている

 

どんな状況に置かれたとしても

その個性を失うことはない

 

 

「歳をとってみなきゃわからないんだよ」と

母によく言われる

 

老齢になった自分を想像するのは

難しいけれど

 

どんなに身体は衰えても

人はずっと個性のままに生きる

 

ならばその命のままに

華を咲かせるように

生きて行こうではないか

 

そしてその命が燃え尽きる時には!

夏空に上がる花火のように!

華やかにフィナーレを迎えたい!

 

………………、、、、、、、、

 

 

喪中ハガキが届き始めたこの頃

 

母「あら、◯◯さんのご主人亡くなったんだって。」

 

父「………」

 

10分後

父「◯◯さん亡くなったのか」

 

母「だからさっき言ったでしょ

      マンションで一緒だった人よ!」

 

 

 ……《◯◯さんは今同じマンションに 元気で暮らしている》

 

 

二人の個性が

あまりにも強烈であるが故に

 

こんなことを思うようになったわたしだ

 

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