はなの日記

道草しながら散歩するように生きよう アラフィフはなのささやかな日々

1周年

ブログを始めて1年が経つ

 

身近な家族の話しや

わたくし的な想いなど

気ままに書いてきた

 

文章を書くのが

得意なわけではないけど

 

何となく過ぎて行く日々を

何となくスルーして忘れてしまうより

 

ちょっと書き留めておくのも

いいものかな

 

くらいな気持ちで

気楽に書いてきた

 

そんな感じだ

 

頻繁に更新もしないし

お役立ち情報もないし

 

こんなわたしのブログでも

読んで頂ける人がいるので

 

嬉しいような

恥ずかしいような

申し訳ないような

そんな気持ちだ

 

 

 

ブログは何のために書くのか?

 

日々の記録なら

自分が生きた証なら

個人で日記を書けばいいこと

 

私が死んだあと

家族がその日記を見つけて

 

こんなことを思いながら

毎日を送っていたのかー

なんて笑いながら

私を思い出してくれればいいこと

 

同じ出来事を共有している身内だから

分かり合えることだ

 

姿の見えない人と
身に起きた出来事を共有するってことは

どういうことなんだろうって

 

まだブログを始める気にならなかった時

考えた

 

そこで人のブログを読んでみて

 

これは小説を読むようなもので

自分が経験しないことを

想像力で疑似体験することができる

もの

 

そんな感想を持った

 

 

 

どんなに歳を重ねて

人生経験を積んだとしても

その範囲は高が知れていて

一生のうちに出逢える人は

限られている

所詮小さな世界の中で起きることだ

 

縁もゆかりもない他人の人生は

未知の世界であって

自分の価値観とは違うものだったり

とんでもなくかけ離れているものだったりする

 


ブログは

ノンフィクションの

他人の生の生活を

承諾を得て覗き見するようなものだ

 

自分では当たり前で

ただの日常であっても

他人にとっては見たことのない面白い世界だったりする

 

そんな他人の世界が

一生かかっても読みきれないくらい

ブログの世界には詰め込まれている

 

 

わたしのこんなちっちゃな世界も

その一つになれる

 

そう思ったら

やってみてもいいかなって思えた

 

小説家デビューするのは大変なことだけど
ブログは誰でも自由に参加できる

 

何をやっても続かないわたしが

(「趣味」参照 )

 

気の向くままに

スマホひとつあればできること

 

 

 

時には苦痛だったりする日々の出来事も

ちょっと外から自分を眺めてみれば

なんだか滑稽で

大したことじゃないようなものに見えてきたりする

 

わたしにとってのブログは

そんな役割も果たしている

 

老いた親や天然ボケの夫の観察日記も

笑い話にしてしまえる

 

 

 

こんな毎日を送っている人が

いるんだなって

 

会ったこともない人が
わたしの日常を覗いてくれる

 

考えてみれば

家族だって

 

日々わたしが何を考え

何を感じているのかなんて

いつもわかっているわけじゃない

 

敢えて言わない時もある

わかってくれない時もある

 

そんな小さな孤独を

ブログの中にチョロチョロと

小出しにして流しているのかもしれない

 

 

こんなことを思いながら

 

これからも

こんな感じでやっていこっかなー

 

と思っている

 

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